沖永良部芭蕉布協議会

沖永良部の芭蕉布

Okinoerabu Banana Fabric

芭蕉布とは

芭蕉布とは

バナナ(実芭蕉)の仲間である糸芭蕉の繊維を織り、草木染めの糸で綾なす「芭蕉布」。100%オーガニックの芭蕉布は、沖永良部の豊かな自然に育まれています。

糸芭蕉から採り出す糸は、大変繊細で扱いが難しく、芭蕉布づくりの工程は長く複雑です。それだけに、手間ひまをかけて織り上げられた芭蕉布は、素朴であたたかく、また一方で強く美しい魅力を放っているのです。

芭蕉布のこれまで

芭蕉布のこれまで

芭蕉布は13世紀頃には既に沖縄で織られていたようで、16世紀には中国への貢物や貿易品として使われていました。高温多湿の地域では、涼しくてさらりとした手触りの芭蕉布は夏の衣服として重宝され、身分を問わず人々に愛用されてきました。戦前までは多くの家に織り機が置かれ、それぞれの畑で糸芭蕉が大きな葉を揺らしていたそうです。

第二次世界大戦後、沖縄で途絶えつつあった芭蕉布づくりを工芸にまで高めたのが、人間国宝として知られる、沖縄の大宜味村・喜如嘉の平良敏子さんです。敏子さんは、1944年には本土の工場で働く「女子挺身隊」に参加。そこで、民藝運動に熱心だった倉敷紡績工場の大原総一郎社長が敏子さんらに織物を学ぶ機会を与えてくれました。それにより、芭蕉布の伝統は途絶えることなく、その技術と想いを守り続けることができたのです。

沖永良部芭蕉布の代表作家である長谷川千代子さんは、平良敏子さんに私財を投じて弟子入りし、3年間沖永良部から沖縄に通い詰めて技術を学んだ、いわば後継者です。彼女は町立紬織養成所で30年にわたって指導者を務めたのち、当時、芭蕉布の継承者であった栗尾ハルさんから「島から芭蕉布をなくすわけにはいかない。あなたにしかできない」と想いを託され、敏子さんに学ぶことを決断したといいます。その時の「決断」が、今の沖永良部芭蕉布の歴史に繋がっているのです。
幾多の困難を乗り越え、敏子さんやハルさん、長谷川千代子さんら女性たちが伝え残してくれた、美しい布地と手仕事の数々。今では限られた一部の地域でしか作られなくなり、技術者の高齢化や継承者不足など、解決すべき課題を抱えています。ですが、沖永良部の自然と風土に育まれた、美しい生成りの色合いと控え目な模様は、これからも変わることなく沖永良部に受け継がれていくものと、私たちは信じています。