沖永良部芭蕉布協議会

沖永良部の芭蕉布

Okinoerabu Banana Fabric

沖永良部と芭蕉布

沖永良部芭蕉布の歴史は、沖永良部芭蕉布の代表作家である長谷川千代子さんの半生に重なります。
千代子さんが沖縄の平良敏子さんに弟子入りしたことが、沖永良部芭蕉布を今に伝える重要な契機となりました。

沖永良部芭蕉布のこれまでをご紹介します。

大島紬から芭蕉布へ

町役場の紬織養成所で30年にわたって大島紬の指導をしていた長谷川千代子さん。芭蕉布を始めたきっかけは、もともと沖永良部で芭蕉布に携わっていた栗尾ハルさんの誘いによるものでした。「大島紬しかわからない」と初めは断った千代子さんでしたが、「長谷川さんにしかお願いできない」と言われ、やってみることにしたのです。
自宅の畑のまわりにあった糸芭蕉を切り、庭で芭蕉を炊いたのが始まりでした。近くの畳屋で切った藁をもらってきては、庭で燃やして灰にし、芭蕉に揉み込み、鍋に敷き詰めて炊いたそうです。それが昔ながらのやり方でした。それを川で洗い、灰色に汚れた繊維を竹ばさみでしごくと、キラキラと光る素敵な糸が出てきたのです。
「永良部(沖永良部)にこんな宝物があったんだねえ」と感激した千代子さん。そうして芭蕉糸づくりに夢中になりました。
それを見た栗尾さんは「さすが長谷川先生、すごいねえ。感動した」と大喜び。千代子さんも祖父が作ってくれたという大島紬の研究所にて、無我夢中で糸を織ったのでした。

平良敏子さんとの出会い

芭蕉布にのめり込んでいった千代子さん。ある時、新聞に沖縄の喜如嘉で芭蕉布を織る平良敏子先生の記事が載っていました。それを見た千代子さんはすぐに夫に相談し、沖縄の教育長だった親戚を通じて敏子さんに会いに行きます。朝9時に那覇を出て、着いたのは14時。初めて会った敏子さんはとてもチャーミングでかわいくて素敵なおばあちゃんでした。初対面の2人は、1日中、夢中になって話をしました。そして、千代子さんは思わず口にします。
「先生、永良部の資源を生かしたいから、先生の弟子にしてください」
すでに59歳になっていた千代子さん。芭蕉布を始めるにはあまりに遅すぎると戸惑う敏子さんでしたが、千代子さんが大島紬をやっていると聞いて考えを改めます。
「なんだ、それを早く言いなさい。じゃあ大島紬と芭蕉布の違いを教えればいいのね」
こうして、敏子さんとの師弟関係が始まったのです。

工房では100歳以上のおばあちゃんが糸を紡いでいたといいます。敏子さんは、千代子さんを連れて工房を歩いては「このおばあちゃんは糸を紡いでいるのよ」と説明してくれました。
それから3年、千代子さんは敏子さんのもとで芭蕉布と大島紬の違いを習うことになったのです。「昔から島にあった芭蕉布を再現したい」、それが千代子さんの思いでした。

沖永良部と芭蕉布

もともと沖永良部は芭蕉布に適した島でした。静かな平地でハブがおらず、台風が来ても通り抜けていくという、芭蕉布にとって最高の条件が揃った島だったのです。
ある時、敏子さんは言いました。
「奄美も徳之島も私が教えても続いていない。それはハブがいるから。芭蕉布は4~8月までに手入れしないといけないけど、ハブが出るからできない。沖永良部が一番いいところよ」
その証拠に、こんなエピソードもあります。戦後、「芭蕉の林は蚊の発生源になる」と、米軍が全て倒したことがありました。そこで喜如嘉では、黒砂糖を積んで沖永良部に行っては沖永良部の芭蕉と交換し、芭蕉布づくりを続けたのです。
かつての沖永良部では、質の良いものは薩摩に献上し、残ったものを野良着として着ていました。夫は芭蕉布をまとって晩酌し、妻は四角い高膳にお酒とつまみを用意しながら、自分はお勝手で糸を紡いでいたそうです。そうして女性たちに受け継がれてきたのが沖永良部の芭蕉布だったのです。

長谷川千代子さんの思い

栗田ハルさんや平良敏子さんら、たくさんの人との出会いを経て、沖永良部芭蕉布を代表する作家となった長谷川千代子さん。そんな千代子さんが大事にしていることは、“人を大事にすること”です。
「小さい赤ちゃんから、おじいちゃんおばあちゃんまで、それぞれの魅力がある」と千代子さん。東京での展示会で芭蕉布に興味を持ってくれた奥様には「永良部にぜひおいでください」と必ず声をかけます。そういう一つひとつの出会いが何かの形に繋がっていくのです。それは、敏子さんが教えてくれたことでした。
16歳から織物を勉強し、途中でたくさん色々な仕事をして苦労をしてきた敏子さん。それでも必ず人や出会いが救ってくれたそうです。そんなお話をいつも心に留め、平良先生の顔を思い出しながら、日々を過ごしているといいます。

これまで千代子さんの工房には多くの人が訪れて来ました。
「芭蕉を切ってごらん、それを割いて、炊いて、糸にしてみましょう」
千代子さんのリードで、芭蕉糸はブレスレットやペンダント、ヘアアクセサリーと、様々なものに姿を変えます。そうして工房で学んだ人から写真と手紙が届くことも多くありました。そしてそんな出会いが、千代子さんにとって、何より嬉しい出来事でした。
今までそうやって地道にやってきたことを、今後はプログラムとしてどなたにも教えてあげたい。ものを作って楽しむ心の豊かさを育てていきたい。それが今、千代子さんが抱いている思いです。沖永良部芭蕉布会館の設立は、そんな千代子さんの思いとともに生まれたものでした。

千代子さんがこれから力を入れていきたいことは、技術を次の世代に伝えていくこと。
「私が作ったものをお客さんが喜んでお使いになる。そのことを考えて作りなさい」と、敏子さんはいつもおっしゃったそうです。「手抜きのないように。自分の宝物として扱いなさい」と。「自分の作るものでお客さんからの信頼を得るように努力してきた」という千代子さん。その想いは何年経っても変わりません。
技術を伝えれば、伝統は自ずからついてきます。「一人でも多くの女性に芭蕉布に携わっていただきたい」、それが千代子さんが抱いているささやかな夢なのです。